2018年 4月 の投稿一覧

失敗を恐れなくなる言葉


―画像引用元「無料写真素材を提供する「写真AC」」―

やろうかな、どうしようかな。失敗したらどうしよう、やっぱりやめようか。失敗が怖くて一歩が踏み出せない、勇気が出ない。

そんな時に。

失敗すればやり直せばいい。

やり直してダメなら、もう一度工夫し、

もう一度やり直せばいい

(松下幸之助)

失敗したらやり直せばよいって言われてみれば当たり前のことなんですが、なぜか「絶対に失敗してはならない、成功させなくては」という気持ちが働いてしまうことがよくあります。
そんなときに、社長や上司、先輩からこう声をかけてもらったらどんなに安心することでしょう。このように言ってもらえばリラックスできるし、こんな言葉をかけてくれる人の為にも・・とやる気もおこるものです。

だから、上司もこんなこと言ったらいけません。

「失敗したらどうするんだ?どう責任とるんだ!?後はないと思えよ」

萎縮してうまくいくものもうまくきかなくなるし、クリエイティブな発想やリラックスした精神状態がこんな上司の下で生まれるわけがありません。

本来「失敗の責任は成功で返させるべき」では?

少し話しが逸れます。
日本だと企業が失敗した責任を経営者や役員が退職することで責任を果たした、とされよくテレビで見ます。
「失敗したらクビや左遷」という考えも広くあります。

しかし、海外だとそうではない考えが主流とも聞きます。

どういうことかというと

失敗したら退場するというのは甘えであり、むしろそのまま成功するまでやらせるべきだ

厳しいようでいて、その人を信頼している優しさもあり、少なくてももう一度はチャンスをあげるべきだという前向きなメッセージを感じます。

この考えが非常に私は好きです。

どっちの考えの人の下でより人間は力を発揮するかと言われれば、断然に後者ではないでしょうか。
少なくても恐怖心からのモチベーションではなく、この人のために、この会社のためになんとか力になりたいという底力が湧いてくるのが後者というのは言い切っても良いと思います。

坂本龍馬の覚悟

話しを戻しましょう(笑)
さて、次に企業の中での問題というよりより広い目線でいうと「人生を左右するようなチャレンジ」というものがあります。

これをやってうまくいかなかったら、路頭に迷うことになるかも知れない。それでもやってみたい、もう一歩後押しが欲しいというときに強力すぎる言葉。

何でも思い切ってやってみることですよ。
どっちに転んだって人間、
野辺の石ころ同様、
骨となって一生を終えるのだから
(坂本龍馬)

覚悟の量が違いすぎて何も言えませんね。

現代人の考え方では到底考えられません。

「今日死のうが明日死のうが、遅かれ早かれ人間なんてその辺の石ころみたいに骨になるだけなんだから、何でも思い切って後悔なくやりなさい」

ということと理解します。

恵まれた現代日本に生まれ育った私は、完全にその境地になるのには容易ではないのですが、この極地にたどり着いたなら何も怖くはないのだろうな。と思います。

同時に今の世の中で信じられないようなことを成し遂げる人は沢山いて、これに近い感覚を持っている人もいるでしょう。

なぜ昔にこのようなことを考えた日本人がいたかというのは、一つに【人生の短さ】があると思います。それは次の有名な台詞から・・・

人生は結構、短い

その有名な台詞というのは、

人間50年
下天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり
(幸若舞「敦盛」の一節)

織田信長の辞世の句ではと言われることもある一節ですが、「人の世の50年間は天界の時間と比すれば夢幻のように儚い」といった意味です。

現代は日本の平均寿命は80年、今後はうまくいけば90年くらい生きられるようになるかも知れません。
しかし昔の人の人生はわずか50年だったのです、そう考えれば結婚も15歳で行い現代の2倍、3倍もの密度で生きなければやりたいことは全うできなかったでしょう。

昔の人の「(現代と比べると)凝縮された寿命が強い覚悟や毎日の集中力につながる」のではないでしょうか。

海外では途上国でいうと昔の日本よりも過酷な環境であり寿命も同じくらいという国はありますから、同じ理由で半端ではない覚悟や向上心、反骨心が産まれる土壌もあると思います。

人生長い、と考えれば不要な余裕が生まれます。リラックスも大事ですが、人生が60年しかない、50年しかない、という心境に完全になりきることができればものすごい集中力が生まれそうです。

残りの人生の短さに焦点を当てると覚悟と勇気と一日一日の集中力につながるということです。

極端な話しですが、余命3日といわれたときの脳の回転は人生で味わったことがないものになるでしょうね。

こう考えるようにしていくといいかもしれません。

・20台の方「人生は30までしかないんだ、それまでにやりきるんだ」
・30台の方「人生は40までしかないんだ、それまでにやりきるんだ」
・40台の方「人生は50までしかないんだ、それまでにやりきるんだ」
・50台の方「人生は60までしかないんだ、それまでにやりきるんだ」

あるいは、どの年代の方でも、

「自分の一生は長いかもしれないが数年後かもしれない、あと10年と考えそれまでに悔いがないよう全てを出し切って生きよう」

このような考えをするのは人によっては気分がよいものではないということは分かります。私も若いときであればこう斜に構えていたかもしれません、「何をそんな神妙なことを考えているんだ、一度きりの人生なんだ、もっと楽観的にいったほうが人生は楽しい」。

もちろんそういう考えは今でも持っていますし、それも一つの前向きな素晴らしい考え方だと思います。

それに加えて死生観ではありませんが、自分の死について考えて覚悟ができると、どんなことにも揺るがない、恐怖に負けない自信や勇気が生まれてくると思います。

ここに挙げた人物までの覚悟を身につけるのは容易ではないと思いますが、成し遂げる、夢を叶えるためにはこのような覚悟により近づけるような意識というものを身につけたいと思う日々であります。

太陽に顔を向けろ(マオリ族)/困難に向かっていくべき理由


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ニュージーランドの先住民である、マオリ族に伝わる諺。

太陽に顔を向けろ

影はあなたの後ろに出来るから

(マオリ族)

「困難には、自ら進んで立ち向かっていこう。
いつも顔を背けていたら、そのうち、常に影の方を向かなくていけなくなってしまうだろう。」
ということだそうです。

マオリ族の戦士がまぶしい太陽の光から目を背けずに歩く姿が目に浮かびますよね。

困難から逃げて楽な道を選択するのは簡単です。しかし、いつも逃げてばかりいたら逆につらい状況に陥ることになってしまうかもしれない。
文明社会でない先住民族のあいだで語り継がれる言葉には、人間としての生き方に共通する学びがあります。

私の経験がこの言葉そのものでした

私は自分で言うのもなんですが、若いときは比較的楽な選択ばかりを選んで生きていました。大学も世間一般では良いとされる大学ですが、進学校だったのもあり滑り止めで応募した学校だったため本意ではありません。

その後の決断はというと・・・
親からはおそらく許可をもらえたと想像しますが、浪人して志望の高い大学を目指すという選択肢もあったはずですが、もう一年頑張るのも面倒だったのでそのまま進学しました。人生を左右するようなことでも楽な道を選んでいました。

大学に入ってからは高校生までの自分に甘い性格が災いして大変に苦労をしました。しかし途中から、あえてやりたくないこと、面倒なこと、今まで苦手だったことをあえて進んでやるようにできる限り努めるようにしました。

そうすると、これまでだったら面倒だな、嫌だなと思うことが、成長させるチャンスだなと思えるようになったのです。嫌なことと言うのが基本的になくなるのであまりネガティブな表情や態度をすることも少なくなります。

そして漠然とした言い方ですが、自力と自信がめきめきついているのが自分でも分かりました。

具体的な例を挙げると・・・
初対面で人見知りだったのに初めての人ばかりの場所に誘われても嫌にならない、10人の前でスピーチなどで話すのにも足はガクガク、顔を真っ赤にしていた赤面症・あがり症体質だったのに、10人くらいまで初対面でもそれなりに自然に、20人くらい前でもなんとか逃げずに引き受ける程度にはできるようになりました。

精神的なことだけでなく仕事面でも、面倒だとは思わずに将来につながるであろう技術であればどん欲に学びに行きました。それからは自分の技術一本、あと営業力さえあれば会社がどうなろうが生きていけるという自信を持てるまでになることができました。

色々なことから逃げてとにかく楽な道を選択して生きてきた自分が何がきっかけて変わったのかは覚えていません。しかし嫌だな、苦手だな、と思うことをあえて突き進んでいく、というのは必ず力になると思います。

本当に嫌なことは逃げて良い

最後にまったく逆のこともあえて言わせてください。

本当に苦手なことやそれをやることでマイナスが大きかったり、それ一つで突出したスキルや強みがある人は、無理をしてやる必要はまったくないと思います。

私が「苦手なことをあえてやったらうまくいった」ことの一つの要因としては、苦手なことを思い切ってやって見ると案外平気なことが分かり苦手意識がなくなる、それを繰り返すと色んな苦手意識がなくなり自信につながるというものがあります。

これは森田療法という対人恐怖症や社交不安障害の治療法でも言われることなのですが詳しいことはいえませんので、興味がある方は調べてみて下さい。

日本人は生真面目な方が多く真剣に考えすぎてしまい心を壊してしまう人が他の先進国よりもかなり多く割合でいると聞きます。

真面目なのはもちろん悪いことではありません。
なので誤解ないようもう一度言わせて下さい。

本当に苦手なことはやらない、逃げて良い、得意なことを伸ばせばよい or それ以外は積極的に切り捨てるというのも人によってはそちらのほうが良いことも多々あります。
こうでなければいけない、必ずこうだということはないので自分にあった取捨選択の仕方を見つけていくのがよいと思います。

すぐやれ。それでやっと間に合う(知人)


―画像引用元「無料写真素材を提供する「写真AC」」―

人生の先輩がいっていた言葉です。由来はわかりませんが、人生訓、経験談だと思います。

やりたいことがあるなら、今すぐやれ

それでやっと間に合う。

はっとさせられます。言われた瞬間に全身がうたれたような気持ちになりました。

夢や目標をかかげ、目を輝かせながら、「いつかやりたいんだよね」と誇らしげに語る。

それじゃ間に合いません。

やってる人はとっくにやり始めています。

やらない人って必ずなにかしらの理由を言いながら、始める時期を未来にしようとします。

こんなことを言ったりします。

・今はタイミングが悪い
・●●が終わった始める
・来年の3月まではあれがあるから、それ以降に始める
・体調が良くなったら始める

やらない理由っていくらでも考えられます。
ダイエットも「明日から」って言う人は、明日になれば明日が1日伸びるだけです。
本当にダイエットを始めようと思ったら、思った瞬間からです。その日の次の食事から炭水化物や脂肪を減らし野菜を増やして、仕事から帰ったら30ウォーキングをして・・・って始めます。

スポーツや音楽なら、大人になって、いつかプロになりたいなんていったら笑われます。そういう人は3歳、5歳からやっている。

それくらいは割と誰でもわかります。

でも自分にあてはめるとそれが分からないんですね。本当に成し遂げたいんじゃなくて、語って悦にいることが目的になっている部分があるのかもしれません。もしくは夢を語ってる時点でスタートをきったきになってしまうのかもしれません。

やりたいことがあるなら、来年でも来月でも来週でも明日でもなく、今すぐ始める。

現実的には始めることが難しいこともありますが、少なくても気持ちのうえではそれくらいのものがあってギリギリ間に合う。

そうでないと何事も成し遂げられない。

自戒を込めて・・。

この一球は絶対無二の一球なり(福田雅之助)


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松岡修造さんが1995年のウインブルドン大会で叫んだこの台詞は、テニスファンならずとも知っている人が多いかもしれません。

この一球は絶対無二の一球なり!

そう叫んで大事な場面を決めるサービスに挑みました。

ベスト8を決めた試合では、喜びのあまりにコートに倒れ込みます。


(60秒からその場面)

元は福田雅之助の「庭球訓」の一節で、全文は以下に。

この一球は絶対無二の一球なり
されば身心を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛え
精神力を養うべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心という

「福田雅之助(テニス選手)」

まさに一瞬で生き死にが決定する侍の境地まで達したといえるでしょう!

テニスプレイヤーならずとも、特にここぞという時に問いかけたい言葉です。

それだけでなく、集中力、モチベーションが落ちたときにも効き目があります。
勇気を奮い立たせる効果もあります。

私は日々を漫然といきていかないように自戒を込めて、「今日の一日は絶対無二の一日(二度と訪れない、これからの人生の最初で最後の日)」とメモして壁に貼っています。

もちろん気張ってばかりじゃ集中力も続きません。無駄な日も必要です。